三国志

09月29日のえぼないと占い (BlogPet)

えぼないとが占ってあげるね。

今日は「三国志ネタ運あり」だよ。
三国志ネタと久しぶりの交換ができそうです


三国時代はリアルタイムでは生きたくないなぁ(-_- )シミジミ

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三国志とゲーム(-_- )ウンウン

久しぶりに三国志ネタを(^_^;)

シミュレーションゲームだと「信長の野望」をはじめとする日本の戦国時代をモチーフにした国盗り合戦を思い出すけど、三国志をモチーフにしたゲームも結構ある(-_- )ウンウン

ゲームから三国志ファンになった人も結構いる。
僕個人として気になるのは、三国志の登場人物を数値で見てしまうことはないかということである。
例えば戦闘能力値とか内政能力値と言ったパラメーターで見てしまうとか......。

例えば呂布とか張飛あたりは戦闘能力が高いとか、諸葛兄弟あたりは内政値が高いとか。
人を何らかのパターンで見るのはわかりやすいと思うけどね。
それも一つの三国志の楽しみ方であることには変わりはない(-_- )ウンウン

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青龍偃月刀と蛇矛(-_- )ウンウン

青龍偃月刀と蛇矛については三国志ファンなら説明無用だよね(^_^;)

演義において関羽が愛用したのが前者で、張飛が愛用したのが後者である。
で、問題なのは青龍偃月刀にしろ蛇矛にしろ、三国時代には存在しなかったことである。

青龍偃月刀が登場したのは宋代以降で、蛇矛にいたっては明代以降だから、当然正史には登場していない(-_- )ウンウン
じゃあ、実際に関羽、張飛が用いた武器は何だろうと気にかかってしまう。

横山光輝の三国志の初期では、関羽は段平(だんびら)を用いていたなぁ(-_- )ウンウン

まぁ、当時の武器を知るというのも面白いかもしれないね。

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三国志で見直すべき人物は....(-_- )ウンウン

三国志は演義だけでは魅力は語りきれない。
演義でかなり人物像が歪められた人々がいるからね(-_- )ウンウン

演義は蜀漢贔屓だから、魏や呉の人々は余り良く描かれていない。
蜀漢の人物でも後主・劉禅、魏延は扱いが酷すぎる(-_- )シミジミ

曹操はある意味スーパーマンである。
軍事、政治、文化のあらゆる面で後世に多大な影響を与えたからね。
曹丕、曹叡は名君であることは変わりはない(-_- )ウンウン

呉だと、特に魯粛、呂蒙の扱いが酷すぎる。
魯粛は孫権はおろか、劉備、関羽、諸葛亮ですら頭の上がらない大人物である。
呂蒙は関羽を倒した故に、演義では関羽に呪い殺されると言う滅茶苦茶な扱いである。

劉禅はバカ殿扱いだし、魏延に至っては諸葛亮とそりが合わなかっただけで酷い扱い。
中国では魏延は蛇蝎のように嫌われていて墓も壊されたんだよね(-_- )シミジミ

物語と史実をごっちゃにしてはいけないと思うなぁ(-_- )シミジミ

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僕なりの演義の読み方(-_- )ウンウン

三国志演義を読む場合、主人公と言える人物は途中で亡くなってしまうので、主人公を替えていかないと読み辛いところがある(^_^;)

最初は劉備、関羽、張飛が「桃園の誓い」で義兄弟の契りを結ぶところから始まるので、主人公は三人として読む(^_^;)
その後、三顧の礼で諸葛亮が加わると、関羽、張飛よりも諸葛亮の比率が高くなって、四人が主人公として読むようになる。

で、関羽、張飛が亡くなると一抹の寂しさを感じるようになり、劉備が亡くなるところはクライマックスの一つである(-_- )シミジミ
そこからは諸葛亮一本で主人公として読むようになる(^_^;)

五丈原の戦いで諸葛亮が亡くなると、姜維を主人公として読む。
蜀漢が滅亡後、姜維が鍾会に降伏して蜀漢復興を目論んだけど、失敗して自害するところまで。

最終話では、陸抗と羊祜のやりとりが見所かな(-_- )ウンウン

演義は蜀漢贔屓だからどうしても、劉備を中心に読んでしまう(^_^;)

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死諸葛嚇走活仲達(-_- )ウンウン

日本語で表現すると「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」である。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とも表現するけど違和感を覚えてしまう。
「葛」と「達」で韻を踏んでいるから「諸葛」と表現した方が美しいね(-_- )シミジミ

五丈原の戦いでは、司馬懿と諸葛亮との戦いのクライマックスと言うよりは三国志演義のクライマックスでもある。
この戦いで諸葛亮は陣没して蜀漢軍は退却を開始した。司馬懿は諸葛亮の死を知って追撃したけど蜀漢軍が反撃の勢いを示したので、司馬懿は蜀漢軍の計略を恐れて退却した。
それを地元の人々が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と言ったとか。
そこら辺は事実かどうかは分からないけどね(^_^;)
演義では諸葛亮の木像で司馬懿を驚かせたとか。

蜀漢軍が撤退した後、陣跡を検分した司馬懿が「天下の奇才」と評価したらしい。
天下の奇才と評価した司馬懿本人もただ者ではないからね(-_- )シミジミ

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空城計(-_- )ウンウン

「空城の計」と言った方が分かりやすいと思うけどね(^_^;)

演義で諸葛亮が使った計略の中で一番好きな計略だったりする。
街亭の戦いで敗北を喫して諸葛亮に付いていた兵はかなり少なく、司馬懿が率いる魏の軍隊に追いつかれそうになってしまう危機に陥ってしまう。

そこで諸葛亮は城を掃き清めて城門を開けておき、兵を隠して自ら一人で楼台に上がって琴を弾いて魏の軍隊を招き入れるような仕草をした。
それを見た司馬懿は諸葛亮の奇策を恐れて城に入らず撤退すしたとか。

これはフィクションであるが、全くの創作ではないと言うのが演義の凄いところである。
史実では漢中争奪戦で趙雲が空城計を使って曹操を撤退させたとか。
それで「趙雲は全身が肝っ玉のような男」だと賞賛されたらしい(-_- )ウンウン

空城計というのは自分の陣地に敵を誘い込むことで敵の警戒心を誘う計略である。
それは中国の三十六計の一つに数えられているものである(-_- )ウンウン

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諸葛亮の甲冑姿(-_- )ウンウン

戦場における諸葛亮は羽扇を持ち四輪車に乗ったイメージてあり甲冑は着ていない。
と言うか、諸葛亮に甲冑姿はイメージに合わないよね(^_^;)

諸葛亮の身長は8尺、後漢の1尺は23cmだから184cm。
現代の男性でも大男、デューク東郷の182cmよりも高いのである(-_- )ウンウン
身長からすると甲冑は似合うと思うんだけどね(^_^;)

巷に知られている戦場における諸葛亮の姿は五丈原の戦いでのイメージだと思う。
その時は体力が衰弱しており甲冑を着て馬に乗ることは出来なかったと推測できる(-_- )ウンウン

南征した時は未だ元気だったから甲冑姿だったんじゃないかと思うなぁ(^_^;)

演義の世界では諸葛亮が様々な天才的な計略を用いて敵を翻弄するわけだから、甲冑姿よりも無防備な軽装で羽扇で指令を出す方が様になるよね(-_- )ウンウン

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劉備と三蔵法師(-_- )ウンウン

演義を読んだりすると感じるんだけど、劉備の立場としては西遊記の三蔵法師と同じだということである(-_- )ウンウン

西遊記では三蔵法師は何の活躍もしないで、活躍するのは主に孫悟空である。
悟空の仙術で三蔵を襲う妖怪をやっつけるという感じ。

演義の三国志でも劉備本人は前線に立つことはあっても、殆ど活躍していない。
活躍しているのは関羽と張飛であり、諸葛亮を加えてからは諸葛亮の天才的戦略で敵を翻弄すると言う感じだね(^_^;)

史実の劉備は気性が激しく戦闘能力の高い武術を持っている。
諸葛亮の場合は、劉備が存命中には戦線には立っていない。

劉備にしろ三蔵法師にしろ主人に当たる人物が活躍しないのは中国的な考えがあるのかもしれない。
劉邦と項羽の戦いでも、第一の功労者は戦線に立っていない蕭何だもんね(-_- )ウンウン

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劉備の風貌(-_- )ウンウン

僕が最初に三国志を読んでびっくりしたのが劉備の風貌である(-_- )ウンウン

「腕が膝に届くまであって、耳が非常に大きく自分の目で見ることが出来た。」と書かれているのを読んで、どう考えても人間とは思えない風貌だと恐れおののいたものである(^_^;)
三国志を知ったのが小学5年生だったからね(-_- )シミジミ

「腕が膝に届く」というのは「手を動かせる範囲が広い」→「多才である」、
「自分の耳を見ることが出来る目」というのは「細かいところまで見ることが出来る」と表現される。
すなわち慣用句的な表現であり、劉備が聡明だったと言う意味で使われたらしい。

実際の劉備は170cm以上の身長であり、軍事能力の高い傭兵の隊長と言ったところ。
その軍事能力の高さから、曹操から「英雄と言えるのは君と自分くらいだ。」と言わしめたくらいだからね(-_- )ウンウン

演義だと劉備は戦が下手みたいに書かれているけど、それは諸葛亮を引き立たせるためのものである(^_^;)

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関羽と張飛(-_- )ウンウン

僕個人しては、劉備が諸葛亮に会う以前で、関羽と張飛が活躍していた時の三国志が好きだったりする(^_^;)

戦いのシーンはやっぱり心をワクワクさせるところがあるんだよね(^_^;)
関羽と張飛は一騎当千の武勇を持つのは言うまでもない(-_- )ウンウン
現に両名を失った蜀漢軍は精彩を欠いたからね。

最近知ったことなんだけど、関羽と張飛は塩の売買に深く関わったらしい。
今で言うギルドと言うやつ。両名は塩のギルドの幹部クラスだったとか(-_- )ウンウン

劉備軍は塩の売買で兵や物資を得ていたのかもしれないね。
色々な視点で三国志を読んでみるのも面白い(-_- )シミジミ

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04月16日のえぼないと占い (BlogPet)

えぼないとが占ってあげるね。

今日は「五丈原運下降気味」だよ。
きょうのあなたは五丈原が忘れられません


「赤壁の戦い」で勘違いし易いんだけど、諸葛亮はあくまでも敗者だからね(-_- )シミジミ
まぁ、諸葛亮が活躍できたのも劉禅の器量があってのこと。

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「五丈原の戦い」の映画化を望む(-_- )シミジミ

「赤壁の戦い」を映画化できたとなれば、「五丈原の戦い」の映画化が有ってもいいと思う(-_- )シミジミ

諸葛亮と司馬懿との知恵比べが面白いかなぁと思う。
実際のところ司馬懿が地の利をうまく利用して持久戦に持ち込んで、蜀漢軍を追い返して勝ったんだけどね(^_^;)

映画化するのなら主人公は司馬懿にした方が悲壮感が余りなくて済むのかもしれない。
物語だとどうしても諸葛亮が主人公になってしまいがちなんだけど、逆に諸葛亮を敵役にした方が何故魏に勝てなかったのか分かり易いのかもしれない(-_- )ウンウン

司馬懿を主人公にした方が死んだはずの諸葛亮が現れてびっくりするシーンに迫力があると思うんだけどね(-_- )シミジミ

まぁ、三国志は蜀漢びいきをやめたほうが面白いと思うよ(^_^;)

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赤壁の戦い(-_- )ウンウン

「レッド・クリフ」という映画で三国志が脚光を浴びているのかもしれない(-_- )ウンウン

「赤壁の戦い」と言うのは、曹操と劉備・孫権連合との戦いで一つのクライマックスである。
その戦いで曹操が敗れて中国統一は遠のいてしまった。

で、赤壁の戦いはどこで行われたかは、はっきりと分からないらしい。
当時の洞庭湖は現在ほど大きくないらしいし、地形もかなり変わっているらしい。
五丈原ははっきりと分かるけどね(-_- )ウンウン

実際には劉備は戦いには殆ど参加していない。
諸葛亮は東風を呼んだと言うのはフィクションで、孫権に曹操と戦うように説いたと言う。
それだけでも功績と言えるけどね(-_- )ウンウン

その戦いで曹操は敗北したけど大敗北とは思えないんだよね。
天下統一は出来なかったけど、領土が無くなったわけではない。
荊州北部は魏の領土のままだしね。

実際の赤壁の戦いはどのように行われたか気にかかるなぁ(-_- )シミジミ

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三国時代の正統王朝は...(-_- )ウンウン

これは言うまでもなく魏であることには間違いはない(-_- )ウンウン
後漢の献帝が魏の文帝(曹丕)に禅譲したからね。

蜀漢正統論は儒教的な考えと、後世の政治状況によるものだと思うけどね。
唐王朝とか宋王朝とかは北方民族に中原を奪われて、南へ逃げた政治家が諸葛亮と自分をなぞられたところもあるし(-_- )ウンウン

西暦184年に黄巾の乱が起こって、漢王朝ではもうダメだと言う世論が高まっていたことを考えると漢王朝の復興はなかなか同意が得られなかったんじゃないかと推測しちゃうわけで(^_^;)

僕としては「蜀漢正統論」は物語の世界だけでいいんじゃないかと思う。
蜀漢正統論では後漢は劉禅が魏に降伏した時迄になるわけだけど、光武帝が興した後漢と劉備が興した蜀漢をごっちゃにするのはおかしいと言わざるを得ない(-_- )シミジミ
献帝が劉備に帝位を譲ったわけじゃないからね。

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三国志の魅力(-_- )ウンウン

久しぶりに三国志ネタということで(^_^;)

三国志の魅力って何だろうと考えたけど、人夫々だから一概には言い切れない(^_^;)
登場する人物が個性的であるとか色々あるけどね(-_- )ウンウン

僕個人としては劉備とか諸葛亮が漢復興のために頑張ったんだけど、志半ばにして生涯を終えてしまったところにあるのではと思ったりする。
劉備の臨終とか、秋風五丈原あたりは一つのクライマックスで虚しさというのがものすごく感じてしまうわけである。言うまでもなく、漢の滅亡に限らず、蜀漢の滅亡、魏の滅亡、呉の滅亡も同じだけどね(-_- )シミジミ

漢復興が叶わなかったのは、当時の世論が漢の復興を望んでいなかったのかもしれない。
魏と呉、蜀漢では国力が雲泥の差と言えるからね(-_- )シミジミ

滅びの美学というのを感じてしまうんだよね。
日本人好みと言ったところか(^_^;)


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史実の三国志の漫画(-_- )ウンウン

あったらいいなぁと思うのが陳寿著作の三国志を原作にした漫画である。
横山光輝が史記を漫画化したけど、それの三国志版である(-_- )ウンウン

三国志演義といった小説モードの三国志漫画は巷にあふれているが、史実をモチーフにした漫画はあまり見かけない。
劉備が主人公で曹操が悪役なのが殆どだと思う(-_- )ウンウン
中には曹操を主人公にした漫画もあるけどね。

例えば魏書武帝紀から曹操の生涯を描くとか、蜀書関羽、張飛伝から関羽と張飛の生涯を描いた漫画を連ねたら面白いと思う。
三国志演義では見えない真の姿が見えたらいいね(-_- )シミジミ
時の流れが前後するのは致し方ない。

問題が一つある。
司馬懿等司馬一族は三国志に掲載されていないから漫画にならないね(^_^;)
司馬懿は三国時代の真の勝者だから三国志には掲載されておらず、晋書宣帝紀に記載されているのだ(-_- )ウンウン

演義に出て来る架空の人物は興味ないからいいや。
逆に演義に登場しない人物を挙げていくのもいいね(-_- )シミジミ

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画餅(-_- )ウンウン

これも三国志から来た言葉であると知ったのはつい最近のことである(-_- )ウンウン
絵に描いた餅とも言うけどね。

これは諸葛誕が魏に仕官した時に名声があったんだけど、明帝にはそれを嫌い「名声は画餅みたいなもので、飢えを満たすことはできない」と批判したのが始まりらしい。

諸葛誕は琅邪郡の出身であり、琅邪諸葛家の本筋らしいと言う説があるとか。
琅邪諸葛家は諸葛瑾、諸葛亮兄弟の方が有名だけどね(-_- )ウンウン

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三国志ネタ(-_- )ウンウン

ここ最近三国志ネタを上げているんだけど小説ネタより史実ネタの方が多いので、どうしても思想ネタとか政治ネタになってしまうなぁ(^_^;)

三国志ネタは現代の我が国の政治・経済等に繋がるところがあるから、あまり深入りするとブログの趣旨から逸脱する虞もあるわけで、慎重に考えないといけないなぁと思った(-_- )シミジミ

政治の話するには勉強不足なんだよね(^_^;)

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諸葛孔明と卑弥呼(-_- )ウンウン

この年末年始に実家へ帰ったんだけど、久しぶりに見つけたのがタイトルの「諸葛孔明と卑弥呼」という書籍である(-_- )ウンウン
「諸葛孔明対卑弥呼」という小説と似ているけど、似て非なる物である。

日本人にとって三国志で興味があるのは諸葛亮と魏志倭人伝かなぁと思う。
魏王朝は日蝕と言う事象をうまく利用したこと、卑弥呼は魏王朝から日蝕の情報を得て邪馬台国をまとめることに成功した。諸葛亮は魏王朝に太刀打ちできなかったと言うのが本書の趣旨である。

僕個人としては小説としてよりも三国時代の史実はどうなのかと言うのが興味がある。
小説では諸葛亮が計略を用いて周瑜や司馬懿を翻弄するパターンだけど、現実的じゃないなぁと言うのが史実を知りたくなった一因だけどね(^_^;)

史実としては魏と蜀漢の国力の差は日米戦争当時の米国と日本と似たようなものだったこと、魏王朝は諸葛亮よりも二枚も三枚も上手だったということに興味を感じた。
僕を含めた日本人は諸葛亮を美化しているきらいがあるかもしれないね(^_^;)

残念ながら本書は絶版である。
僕は平成3年頃中野区に住んでいたんだけど、ブロードウェイの明屋書店で購入したのである(-_- )ウンウン

諸葛孔明と卑弥呼―『三国志』が解く古代史の謎

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呉下の阿蒙とか(-_- )ウンウン

「呉下の阿蒙」、「士、別れて三日、即ち刮目して相待つべし」で有名なのが、呉の呂蒙である。

もともと呂蒙は勇猛な武将であったけど学問については目もくれなかったようである。
そのため、孫権から学問の必要性を諭されて勉学に励んだ。結局は儒学者に負けないほどの学問を究めたという。

呂蒙の変わり映えに魯粛が言ったのが「呉下の阿蒙に非ず。」で、それに呂蒙が答えたのが「士、別れて三日、即ち刮目して相待つべし」である。

呂蒙は知勇兼備の将軍だったけど、関羽を倒したという事が後世の人々に評価されていないのが残念である。
関羽は神として崇められたからこそなおさらと言うべきか(-_- )シミジミ

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馬氏の五常(-_- )ウンウン

三国志ネタを一つ(-_- )ウンウン

「馬氏の五常、白眉最も良し」と言うのが白眉の由来だね。
馬氏の五人兄弟は皆優秀で、字に「常」という字が入っているんだけど、そのうち眉毛に白髪が入っている馬良が一番優れていたことから出てきた故事成語である。

馬良の字は季常だから四子であることは推測できる。
ちなみに馬謖は五子で字は幼常である(-_- )ウンウン

で、馬良と馬謖の三人の兄は誰なんだろうと気にかかる。
三国志には出てこないんだよね(-_- )シミジミ

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諱と字(-_- )ウンウン

三国志のバヤイ、「劉備玄徳」、「張飛益徳」、「趙雲子龍」とか「諸葛亮孔明」と言った表現があるけど、僕はものすごく違和感を覚える(-_- )シミジミ

劉備玄徳と表現したら、劉備が姓で玄徳が名と間違えて覚える人もいると思うけどね。
劉が姓、名前というか諱(いみな)が備、字(あざな)が玄徳である(-_- )ウンウン

中国では諱を呼ぶことは忌避され、親とか主君以外の者が軽々しく諱で呼ぶことは無礼とされたような。
成人になった人に対しては字で呼ぶのが一般的である。

だから劉備の場合は「劉玄徳」、尤も豫州の牧に任じられていたから「劉豫州」とも呼ばれていたね(-_- )ウンウン
「劉備玄徳」と呼ばれることは現実的にあり得ない話である(-_- )ウンウン

三国志の場合、どうして劉備玄徳とか張飛益徳といった、姓・諱・字と一遍に表現するようになったんだろうね?(^_^;)

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史実の三国志(-_- )ウンウン

「史実の三国志」と言うのは、陳寿が著した三国志と言う歴史書のこと。
後世の裴松之らが注釈を付けたものが読み易くなっていると言う(-_- )ウンウン

僕が読んだことがあるのはまさにほんの一部に過ぎない(^_^;)
魏書武帝紀、蜀書諸葛亮伝、関羽・張飛伝、呉書周瑜伝くらい(-_- )ウンウン
学校の図書館で読んだので、殆ど忘れている。

一度でいいから全部読んでみたいなぁとは思うものの、かなりの数になるから読み切るのは大変みたいだね(^_^;)
やっぱり蜀書先主伝、後主伝あたりはおさえておきたいなぁ(-_- )シミジミ

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督郵(-_- )ウンウン

督郵は人名だと思っていたけど、官職名みたいだね(^_^;)
今で言う地方自治の監査するような役職。

黄巾の乱で義勇軍を結成した劉備はその功績により県の役人になったんだけど、郡の督郵が公務で来た時に傍若無人な振る舞いをしたもんだから張飛が怒ってその督郵を縛り付けて柳の枝で殴りつけたと言うシーンがあったね。

演義の最初の部分で溜飲を下す痛快なシーンなんだけど、実際にやったのは張飛ではなくて劉備本人である。
演義で描かれる劉備は品行方正すぎてどうしても好きになれなかったけど、実際に督郵にリンチしたのは劉備本人と知って劉備が好きになったのであった(-_- )シミジミ

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泣いて馬謖を斬ったか定かではない(-_- )ウンウン

三国志の故事成語の中で有名なのが「泣いて馬謖を斬る」、正確には「涙を揮(ふる)って馬謖を斬る」みたいだけど(-_- )ウンウン

はっきり言ってこの故事成語は好きになれない。
なぜなら他人(諸葛亮)の失態を後世に残すようなものだからね(-_- )シミジミ

劉備が臨終の際に「馬謖は口で言うほどには能力あるとは思えない。重要なところで用いてはならない。」と諸葛亮を戒めた。
諸葛亮は結果的に戒めをきかなかったため、街亭の戦いで馬謖を用いて大敗北を喫した。
要は諸葛亮の人選ミスということだ。
だからこそ諸葛亮自身も丞相を返上、三階級落として右将軍になったのである。

蜀書馬謖伝には処刑されたとは記載されていない。
実際に処刑されたのか獄死なのかは分からない(-_- )ウンウン

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阿呆の由来(-_- )ウンウン

阿呆のというのは言うまでもなく「馬鹿」とかの罵倒語だよね(^_^;)

由来としてはよくわからないけど有名なのが二つある。
・秦の始皇帝が立てた阿房宮が不必要に大きすぎると言う説。
・三国時代の蜀漢の後主、劉禅の三国志・三国志演義の暗君のイメージから

僕としては前者はともかくとして後者には同意できかねる(-_- )シミジミ

演義で読むと諸葛亮が勝利を重ねて後一歩で司馬懿を倒せるところで、後主が撤退するように邪魔をしたりとか、諸葛亮が存命の時から酒ばっかり飲んで肥満したとか、宦官に振り回されて政治を見なくなったとか、魏にあっさり降伏したりとか、降伏後洛陽へ行って馬鹿丸出しな言動をしたとか色々あるけどね(^_^;)

実際には諸葛亮、蒋琬、費禕、董允といった能臣が存命だった頃は国営がうまくいっていたけど、能臣が亡くなってからおかしくなったみたい。
春秋五覇の一人、斉の桓公と大して変わらないと思う(^_^;)

蜀漢滅亡の最大の原因は姜維が無駄な戦争を起こしては敗戦を繰り返したから国力が大幅に落ちたと思うけどね(-_- )シミジミ

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呉を中心にした三国志(^_^;)

演義に限らず小説、漫画だと、どうしても劉備や諸葛亮が主人公のパターンが多いね(^_^;)
中には曹操を主人公にした漫画もあったけど(-_- )ウンウン
はっきり言って曹操は英雄という名にふさわしいスーパーマンだもんね。

それはさておいてと。
ふと思ったんだけど孫呉を中心にした三国志の話が有ってもいいのではと(^_^;)
孫権は言うまでもなく、周瑜、魯粛は大人物として描かれることは間違いない。

でも、神として崇められている関羽を殺したのは孫権だから、読者に受け入れられるのは難しいかなぁと思う。
特に荊州の領有を巡って孫権と劉備は対立するんだけど、実際には劉備が孫権を騙したと言うか翻弄したというのが事実らしいから、そこら辺をストレートに表現したら蜀漢贔屓の人々から反発を食らうのは必定だね(^_^;)

とは言うものの、蜀漢側だけではなく、曹魏、孫呉から見た三国時代を見ることができれば三国志を100倍以上楽しむことはできるからね(-_- )ウンウン

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漢の復興(-_- )ウンウン

漢の復興と言うと三国時代の劉備を思い出してしまうんだけど、実際に漢の復興を成し遂げたのは後漢の光武帝、劉秀である。

漢を興した劉邦、三国志の劉備の物語はあるけど、劉秀の物語はちょっと見当たらないなぁ。
単に僕が知らないだけかもしれない、僕が知らないだけであって欲しいのが本音である。

劉邦の場合は人間的に頼りない部分があっただけに、韓信、張良といった配下の人々の活躍が光ったんだけど、劉秀は人間としてエラーが少ないだけに配下の人々が目立たなかったという点もある(^_^;)

よく考えると、国の復興を果たした人物では劉秀だけ(-_- )ウンウン
劉秀は前漢景帝の子孫。さういえば、劉備も前漢景帝の子孫と称していたな。

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魏滅亡後の三国志(-_- )ウンウン

演義でも魏滅亡後については最終話である第百二十回しか記載が無い。

その中で好きな話が、呉の陸抗と晋の羊祜の話である。
敵同士でありながら才能を認め合った仲だったとか。

陸抗が病気がちだったことを知った羊祜は薬を贈った。
当然呉の兵士は罠だと反対したけど、陸抗は何のためらいも無く服用した。
陸抗はお礼として羊祜に酒を贈り、羊祜は毒味もせずにその酒を飲んだという。

僕個人としては三国志の話の中で一番清々しいと思う(-_- )シミジミ
両者とも晋が呉を滅ぼす西暦280年前に亡くなったという。

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